レポート
▶︎レポーター
岩立(旧姓 大岩) 友紀子 おいこファーム
2009年卒業(大西ゼミ所属)
<大学卒業後の私>
私は大学を卒業後、東京で証券会社に勤めましたが、実態のない資本主義のお金の使い方に疑問を覚え、「人間は食べるものを作って生きて行くものではないか」と強く思い、就職後1年半で脱サラし、農業研修をするため単身で宮崎県へ飛びました。宮崎県では、綾町の有機、無農薬で農業を営んでいる農業法人で研修生として働かせていただきました。1年間の農業研修を終え、東京に帰って来ました。そして次のステージに進む準備や勉強の為、日本全国の農家さんを短期で回りました。
次第に農業法人で働くでもなく、仲間でやるでもなく、“家族で農業経営がしたい”と思うようになりました。そこでパートナーを探す為、農業系のイベントに積極的に参加しましたが、ご縁はなく…。無職期間が1年を過ぎようとしていた時、母が“結婚したらやりたいことできるかわからないのだから、今やりたいことがあるならやっちゃえば?”とアドバイスしてくれました。
<自分ひとりで始めた農業と苦労の日々>
私は自分一人で畑をやる覚悟を決め、実家から車で一時間の土地に畑を借りることに成功しましたが、そこからは苦労の日々でした。何をやるにも自分一人で決断、実行しなければならない…。多くの資金もかかりました。また、自分の畑を始める前に、「農コン(農業婚活イベント)」に申し込んでいました。そこで今の主人と出会いました。ちょうど私が就農した場所のご近所の農家さんだったので、新しい土地に来て右も左もわからなかった私に、色々教えてくれた事がきっかけで仲良くなり、昨年結婚することになりました。
生涯一人で農業ができるとは思っていなかったので、代々農業を営んでいる主人と結婚したことで、一生農業ができる場所ができたと、嬉しくなりました。
<きっかけは相談員の仕事を通して>
そんな私は一昨年から、「新農業人フェア」という年4回開催の農業専門の就職イベントで、女性相談員として、新しく農業を始めたい女性のアドバイスをする仕事もしています。しかし、相談に来る女性たちに、農業を始める為の明確な道筋を開いてあげられないことに、もどかしさを感じていました。ただでさえ農業は大変なので、女性が単独で農業をするのは並大抵ではありません。簡単に背中を押せずにいました。農業法人で男性と同じように働くのは、体力も能力も人並み以上ある女性でないと厳しく、1から農園を立ち上げるのは体力面や特に金銭面でとても大変。自身の経験から、女性が永く農業に携わるには「農家の嫁」になるのが一番だと痛感しました。実際に私が農業を始めようとしたときも、“農家の嫁になればいい”としきりに言われました。しかし、「おせっかいおばちゃん」が減っている昨今、農家と出会う機会はなかなか少ないのが現状です。
「農業専門の婚活サイト」を立ち上げる
そこで、全国規模で出会える「農業専門の婚活サイト」を作り、農業がしたい、または田舎暮らしがしたい女性と、嫁不足に悩んでいる農家の後継ぎを繋ぐサポートをさせていただきたいと考えました。各地で農コンは開催されていますが、そういう場ではしゃべれる人ばかりが目立ってしまい、どうしてもシャイな人は影に隠れがちです。そこで、マンツーマンでゆっくりメッセージのやりとりができる「農業専門の婚活サイト」を立ち上げることになりました。