2019.11.6

開催レポート:2019.6.22-23 – 福島県浜通り沿岸地域スタディツアー2019

レポート

▶︎レポーター

高崎 大輔 同窓会事務局 5期生

6月22日(土)〜23日(日)にかけ、帝京平成大学(現代ライフ学部、健康メディカル学部)、キルギスから来られた新潟大学研究員、法政大学地理学科卒業生らと東日本大震災および福島第一原子力発電所事故による被災地・福島県浜通りにてスタディツアーを実施しました。

参加者 17名

<学習ポイント>

1.エネルギー・電力と地域社会について

福島県浜通り地方は、古くから首都圏と石炭および電力の供給においてかかわりがあり、常磐炭鉱(茨城県日立市から福島県富岡町)から京浜工業地帯等へ石炭を供給し、戦後の高度経済成長へ貢献してきた。その後、1970年代以降、原子力発電(福島第一、第二)は、ベースロード電源として首都圏の電力安定供給に貢献してきた。

Q1 これらの燃料および発電方式が地域へもたらした影響について考察する。

・化石燃料起源:石炭、石油、液化天然ガス、石炭火力発電。
・原子力発電:安定供給、脱二酸化炭素、低価格、立地地域への経済効果。
・再生可能エネルギー:水力発電、太陽光発電、風力発電。

2.東日本大震災および原子力事故による被害状況やその影響と復興について

今年4月10日、大熊町一部にも避難指示が解除された。避難指示解除後、帰還する方、 帰還できない方、(帰還できても)帰還しない方など一律に帰還できない現実がある。その実態を現場の状況から考察する。住民帰還だけでなく、商売の再開も含め。

Q2 訪問先がA~Dのどこに該当するか。またその特徴や今後の可能性等を考察。

エリアA:津波被害あり/原発避難指示あり
エリアB:津波被害あり/原発避難指示なし
エリアC:津波被害なし/原発避難指示あり
エリアD:津波被害なし/原発避難指示なし
   ※地震による被害はすべて共有に受けていると仮定。

3.福島県浜通り地方は、海、山、川など自然に恵まれ、また、生鮮市場、温泉、キャンプ場など観光資源が豊富である。

Q3 浜通り地方の経済発展、観光資源、持続可能な社会および環境教育等の可能性について考える。



<レポート>

第一日目

JR常磐線「湯本駅」および高速バス「いわき湯本IC」に集合し、マイクロバスで常磐自動車道、国道6号、JR常磐線を平行し広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町へ北上し津波被害、帰還困難地域近辺を視察。

第二日目

2011年4月11日にいわき市内陸部を襲った直下型地震の起因となる「湯の岳断層」および「井戸澤断層」周辺の痕跡、水力発電所、東北最大規模を誇る小名浜港でのメガソーラ発電所、石炭ヤード、観光施設等を視察。
その中で印象的であった施設および場所について、エリアを付し地域の状況を報告する。

【エリアC:津波被害なし/原発避難指示あり(1日目)】

環境省「特定廃棄物処分場」とその情報館(「リプルンふくしま」)
この施設は双葉郡楢葉町(搬入路)と双葉郡富岡町(処分場)に跨るように設置され、2017年11月から受入を開始。元々産業廃棄物処分場だったものを環境省が買い取り、以下廃棄物を埋立処理。
1.双葉郡8町村の生活ごみ
2.がれき、片付けゴミ等
3.焼却灰、下水汚泥など(8千Bq〜10万Bq)
この施設を見学コースに組み入れたきっかけは、“放射線廃棄物に汚染された廃棄物を埋立処分します”このフレーズであった。しかし事前の情報量の少なさや私の勉強不足もあり、除染によって出た放射線廃棄物を貯蔵する施設ではなく、低濃度の廃棄物のみの処分場であったことが判明(参加者の中にも数名勘違いされていた)。
※除染により出た放射線廃棄物は、大熊町・双葉町に設置された中間貯蔵施設で管理。

国道6号線に面したところに設置された情報館(「リプルンふくしま」)で施設概要の説明を30分程度受け、その後、埋立処分場まで車で移動(数分)。
この埋立処分場は、8千Bq(ベクレル)〜10万Bq以下の焼却灰のみを受入。2027年(10年間)を目途に埋立処分が行なわれ、現在は約三分の一を使用(計画どおりの進捗)。

参加者からの声

・原子力を推進した経産省ではなく、環境省が後始末をさせられている。
・さらに環境省の職員ではなく運営会社が案内をしているので、責任を希釈させているように感じた。
・“リプルン”このネーミングは軽すぎる気がする。
・情報量や映像技術など設備が充実しているが、お金をかけ過ぎではないか。
・埋立地の遮水工は大丈夫か?
・Bq(ベクレル:放射線を出す量をしめす単位)とSv(シーベルト:放射線が人体へ与える量をしめす単位)が混在し、一般人に対してわかりにくくしていないか。
・津波被害による廃棄物は塩分を多く含んでおり、この焼却灰をセメントの材料にしている。鉄筋コンクリートにした場合、酸化しやすいのではないか。

情報館「リプルン」で説明を受ける

埋立処分地。まだ使用率は三分の一程度

【エリアA:津波被害あり/原発避難指示あり(1日目)】

双葉郡楢葉町:2015年9月15日に避難指示解除。現在の在住者数3,149人(2019.5.31楢葉町調べ)、震災前8,011人の約47%。避難指示解除後は低迷したが、2017年4月の市小中一貫校開校により児童および子育て世代の30、40歳台の帰還により急増。復興の願いとその象徴として、2018年6月22日に開業された「ここなら笑店街(しょうてんがい)」。飲食店やスーパー等で構成された複合商業施設が町民の生活を支える。当日は土曜日の昼頃であったが、降雨の影響のせいかやや客足は少なめであった。

「ここなら笑店街」の様子

【エリアA:津波被害あり/原発避難指示あり(1日目)】

双葉郡広野町:2011年4月15日緊急時避難準備区域に指定され、同年9月30日に避難指示解除。現在の在住者数4,197人(2019.5.31広野町調べ)、震災前5,490人の約76%。避難指示解除がもっとも早く、第一原子力発電所からもっとも距離が離れ(30km)、また主な避難先であるいわき市からもっとも近い位置にある。公営住宅整備、県ふたば未来学園開校等の政策、Jビレッジ再開、JR常磐線Jビレッジ駅開業、東京2020、広野駅東口ホテル整備等による今後の展開に注目したい。一方、広野駅(西側)商店街においては、金物屋、肉屋、酒屋、床屋、自動車修理工場が数軒。人通り、車両の通行はほとんどなく、震災数年後の状況と変わらない。明るい話題は露出しやすいが、その一方で陽にあたらない真実は表面化しにくいことがわかる。

広野火力発電所、洋上風力発電、ガス田について小森先生から説明

火力発電所をバックに弁当女子

メインは地元高級魚“かながしら”のてんぷら

【エリアA:津波被害あり/原発避難指示あり(1日目)】

双葉郡浪江町請戸(うけど)地区:2018年4月1日に帰還困難地区から避難指示解除された浪江町の中で沿岸地域に位置し、津波被害がもっとも大きかった地域。津波被害が大きかったことと長期にわたる避難指示により中心市街地に比べ復旧は大きく遅延。道路補修、電力・通信、上下水道などインフラが未整備。

津波の威力を物語る痕跡がいまだに残る。
小森先生(帝京平成大学)から“オレンジ色のセンターラインが左側(沿岸方向)へズレているのがわかりますか。これは津波の引き波により(道路本体を残し)表面のアスファルトだけが移動した現象です。”と解説を受け、引き波の強さを実感。
写真奥に写る黒い二つの物体は、イノシシ。改修工事や通行の妨げ、道路わきへフンを散らかしたりし新たな問題が発生。約6年間、帰還困難地域に指定され、人が立入る機会が少なかったことが要因と考えられる。

引き波のメカニズムについて小森先生から説明 センターラインのズレ

イノシシが2頭出現

【エリアD:津波被害なし/原発避難指示なし(2日目)】

第二日目の朝、宿泊した温泉宿オーナーの里見喜生氏から湯本温泉の現状、地域の歴史から常磐炭田(福島県富岡町から茨城県日立市)の栄枯盛衰について説明をいただく。映画“フラガール”と常磐炭鉱についても触れられ、当時黒いダイヤと称され、わが国の高度経済成長、重化学工業発展に欠かすことのできない石炭は高値で取引されていたこと、現在は上野駅からいわき駅を経由し仙台駅まで伸びる(現在富岡駅−浪江駅は不通)JR常磐線は、かつてここで採掘された石炭を京浜工業地帯へ運搬することを目的に開通され、宿泊した温泉宿前の通りには、炭鉱から湯本駅まで石炭を運搬するための支線が敷設されていた古来の話をいただく。
高度経済成長終盤(1960年〜1970年代)以降、家電の普及等による電力消費量の急増を背景に調達コストの低廉な石油、天然ガスそして原子力発電へと転換期を迎え、石炭の取引量は減少。そして1975年に常磐炭鉱は閉山し、湯本駅周辺は一変した。

里見氏から湯本温泉街について案内を受ける。

2011年4月11日、いわき市南部を襲った内陸直下型地震により常磐湯本界隈は大きな被害を受けた。この温泉宿もその一つで建物躯体、配管等基幹設備に強い衝撃を受け、旅館経営そのものが立ち行かなくなりやむなく休業。その間、約140人いた従業員を解雇整理し、最小限のサービス(従業員)で再出発。
かつて社員旅行など団体客向けに宴会場、卓球場、バー・ラウンジなど館内ですべて完結できる設備を備えていた。湯本温泉街は“カランコロン“とゲタの足音が鳴り響く町並みであったが、昭和末期から平成のバブル崩壊や旅行スタイルの変化、そして震災による大打撃、除染や廃炉等復旧作業員や避難者の受入れにより温泉街が一変。この温泉宿も古来の営業スタイルへの固執から脱却せざるを得ない状況になる。
そこで旅館業にとらわれない現代ニーズを取り入れ、ハード面・ソフト面をリニューアル。地域住民向けに託児所や体操教室を開設、地域のフットボールクラブ“いわきFC”とのコラボレーション、そして被災地へのスタディツアー企画など新事業を取り入れられている。里見オーナーは大学卒業後、東京の住宅メーカへ就職。そこで培った営業経験やノウハウを活かし、新しい発想で奮闘中。
津波被害や原子力避難指示はなかったものの、風評被害等を含め震災の影響は少なくない。
常磐湯本は、石炭にはじまり、原子力事故を経て、再生可能エネルギーに至るまでの変遷とともに歩んできた。里見オーナーの体験談をうかがい、エネルギー政策が地域社会にもたらす影響の大きさを感じた。

現地の移動でお世話になったラッピングバス。デザインは地域の子供たち。

参加者からの主な声
・高度経済成長期と現在は状況が大きく変わっている。その間、原子力事故による教訓を得たはずだが、日常生活で大きな変化は見られない。人は陽が落ちたら退社し帰宅する。24時間営業は必要なのか?
・父親が沖縄出身。国のために地域が犠牲になり、沖縄と福島は類似する面がある。
・請戸小学校の児童が、教員のとっさの判断でマニュアル道理ではない近道へ切り替え、高台へ避難を誘導し、一命を取り留めた話が印象的であった。
・新聞やニュースでしか現地の状況を知ることができなかったが、現地で実際の状況を見て、生の声を聞くことができてよかった。
・昨年小名浜に大型ショッピングモールが誕生し、津波被害や風評被害に苦しむ小名浜地区を再生する起爆剤と報じられているが、その裏で老舗スーパーが閉店する実態も知ってほしい。
・小名浜港から勿来(なこそ)共同火力発電所まで日に約100台の大型トラックが石炭を運搬している。この運搬行程が地域経済を支えている。環境面から石炭を排除することは容易ではないことがわかった。今も昔も石炭は経済の基幹になっている。
・若いころ頃から日本へ来て勉強することが夢であった。そして東日本大震災の爪痕を見ることや現地の声を聞くことができ、貴重な体験をすることができた。

小名浜工業団地に設置されたメガソーラ発電所

小名浜港の貯炭場

さいごに

津波被害と原発避難指示被害の被災地を「エリアA~D」の四つに区分することで、その地域における復興の進捗やその特徴を捉えやすくなった。震災から8年と3カ月が経過し、避難指示解除とともに政策的に復興が進む地域、地域のコミュニティが強くなり復興が自然作用で進む地域、障壁が残るものの少しずつ復興が進む地域、インフラが整わずまったく復興が進まない地域との格差が拡がりつつある。象徴的に東京2020など催事開催により一部の地域ではホテルの建設や新駅の開業など復興は加速する。しかしその一方で帰還困難区域に位置する地域では震災当時のままである現実がある。
事故前から現在において福島県から電力供給を受ける首都圏の私たちはこの実態を把握し、決して風化させてはいけないため、今後も定期的にこのツアーを計画していきたい。
ツアーに際し、ご理解とご協力をいただいた温泉宿オーナーの里見様、チームEN代表の坂本様に深くお礼を申し上げます。

露出した井戸澤断層近くに住む斉藤様から当時の話をうかがう。

以上