お知らせ
「キャリアチャレンジ」受入れをはじめます。
株式会社東京・森と市庭 菅原 和利
2018年1月10日(水)、人間環境学部の主催科目である「キャリアチャレンジ」の受け入れに関する覚書を取り交わしました。
私は大学時代にフィールドワークを行っていた東京都奥多摩町へ卒業後に移住し、東京の林業の活性化を目指す「株式会社東京・森と市庭」の立ち上げメンバーとして木製品の営業や商品開発などを担当しています。大学時代の体験から移住、起業を経てこの会社の運営にかかわる中で、私は体験から学ぶことの重要性を認識していました。そして、学部の全ての授業は、体験から得た問題意識を基にして学ぶ方がより実際的なものになり、自らの学びとなることを理解していました。そこで、その体験過程を人間環境学部のプログラムにすることで、学生の皆さんが社会と早い段階でつながり、自らの問題意識に気づき、その後の人生の糧になればと思い、このプログラムに協力させていただく運びとなりました。今回は2010年にこの学部を卒業したOBの立場で、このプログラムに至った経緯をお伝えします。
2018年1月10日(水)、人間環境学部の主催科目である「キャリアチャレンジ」の受け入れ先として覚書を取り交わしました。
私は大学生時代、何度も奥多摩の地を訪れ、地域の様々な人たちと交流を重ねてきました。当時は「大学生である自分たちだからこそできることがある」と思いながら4年間フィールドワークを行いました。東京でありながら町の94%が森林に囲まれ、地域の人々の中には今でも昔ながらの山里暮らしを実践し続けている人たちがいました。この人たちに触れて私は「持続可能な社会の理想は奥多摩にあるかもしれない」と、環境問題の解決の糸口をこの地に垣間見ました。
その一方で、この地に初めて訪れた際に心に刺さった一言があります。それは「この町は死んでいる」という言葉です。住人の方々との交流会の席での一言でした。奥多摩町はピーク時には人口15,000人以上が暮らし、林業やダム観光で栄えた時期がありました。しかし、私が奥多摩を初めて訪れた時には人口が半分以下の7,000人程に減少していました。想像するに、当時の賑やかな町の営みを知っている方からすれば、ずいぶんと寂しくなってしまったなあという印象なのでしょう。そして、この言葉の後に、古老は「君にこの町を救えるのか!?」と荒々しく投げかけてきました。私は当時18歳。何も知らない大学一年生。返す言葉をつくる間もなく、その場にいた人たちが古老をなだめ、席はお開きとなりました。
あの時、語りかけられた問いを私は今も追い求めています。環境問題の側面から考えると、持続可能な社会の理想に近い奥多摩。しかし実際に地域に深く関われば関わるほどその理想とは遠い現実。私たち人間環境学部の存在意義はどこにあるのか?そんなことを考えているとふと気づきました。それは、「環境問題は人間が創った問題である」ということです。人類の発展によって起きた問題であり、人間が認知することで発生する問題なのです。その全てを「解決」することは、どうやら人間がこの地にいる限りできそうにありません。
しかし環境問題それ自体を理想の社会をつくるための潜在的なニーズと捉え、社会の仕組みや意識を新たな価値でアップデートしていくことは可能です。そしてその価値を創り、利益を上げ続けることで社会に貢献していくのが株式会社です。経済活動を通して社会を変えていくことができるのです。
弊社でのインターンシップを通して生まれる「問題意識」は大学での学びによって深まり、アクションを重ねていくと、そこには必然的に「体験」が生まれます。体験は人生をつくる素材です。大学生の枠を軽やかに飛び越えて、社会とつながる機会を提供してまいります。
商品開発に関わった保育園向け組立解体できる秘密基地「こだまのこや」。
実際に園児が楽しんでいる様子。
平成27年6月 奥多摩の森を案内したときの様子。多いときで年30回を実施。
銀座にあるベンチャー企業のオフィス(へ納入したシーン)。
▶︎レポーター
菅原 和利