レポート
▶︎レポーター
高崎 大輔 同窓会事務局 5期生
人間環境学部同窓会の第17回定期総会が開催されました。
・日 時:2019年9月21日(土)10時〜13時
・場 所:ボアソナード・タワー24F 人間環境学部会議室
・出席者数:11名
・委任状 :32名 合計43名
同窓会は異なる世代、異なることを学んできた仲間がつどい、アクティブに活動をしてきました。今後のイベントが有意義なものであり、その活動を通じ、この会が発展していくことを期待しています。
4月17日 幹事会 <実施済み>
6月20日 幹事会 <実施済み>
8月23日 幹事会 <実施済み>
9月15日 古今亭ぎん志(旧初音家左吉) 真打襲名披露パーティー出席<実施済み>
9月21日 定期総会
10月16日 幹事会
10月26日 旧江戸川と浦安まち歩き
11月30日 生田緑地と平和教育登戸研究資料館 まち歩き
12月 浜離宮恩賜庭園と虎ノ門再開発エリアまち歩き
12月18日 幹事会
1月26日 賀詞交換会
2月19日 幹事会
3月24日 卒業記念パーティー
副会長 高崎大輔(継続)
会 計 鎌田隆利(継続)
監 事 菅間智義(継続)
中山正邦(継続)
事務局長 高崎広子(継続)
幹 事
梶裕史 (新任)
高田雅之 (新任)
長峰登記夫(新任)
渡邉誠 (新任)
宝田惇史 (新任)
池澤正紀 (新任)
新村繁行 (継続)
小田木弘康(継続)
竹澤順子 (継続)
ガイド 高崎 大輔
・石神先生にも参加いただき、かつての料亭街跡地に建設されたタワーマンション建設に至った経緯等について話を伺うことができた。
・みちくさ横丁、小栗横丁、見番横丁、本多横丁、かくれんぼ横丁、兵庫横丁を歩き、その名称の由来となるかつての町の機能や暮らし、地主の名前について解説。
・神楽河岸、揚場町、軽子坂という地名は現在も残り、かつての物流機能や商人の暮らしについて現地図と古地図を照合し振り返る。
・高度経済成長期から昭和バブル期において最盛期であった花街の様子を当時のマップを活用し、現在も残る痕跡と比較した。
・石畳、黒塀、小路、料理屋などかつての情緒な雰囲気を残し、また料亭や小料理屋の店構えをそのまま残した居酒屋やBar、その他シェアハウス、外国人向けの民泊施設、タピオカ屋など新しいものを融合させ常に進化する状況を直接足を踏み入れることによって実感できた。
「寺内公園」
かつてこの地は料亭が立ち並ぶ花街であったが、料亭の撤退とマンション建設により公園として残された。
「本多横丁」
現在50軒以上の店舗が立ち並ぶ神楽坂最大の横丁である。江戸中期に本多家があったことが由来している。
以上
・日 時:2019年9月21日(土)10時〜13時
・場 所:ボアソナード・タワー24F 人間環境学部会議室
・出席者数:11名
・委任状 :32名 合計43名
開会あいさつ
<庄野会長から>同窓会は異なる世代、異なることを学んできた仲間がつどい、アクティブに活動をしてきました。今後のイベントが有意義なものであり、その活動を通じ、この会が発展していくことを期待しています。
第一部
付議された議案は全会一致で可決承認。・2018年度活動報告
・2018年度会計収支報告、会計監査報告
・2019年度活動計画
4月13日 春のつどい <実施済み>4月17日 幹事会 <実施済み>
6月20日 幹事会 <実施済み>
8月23日 幹事会 <実施済み>
9月15日 古今亭ぎん志(旧初音家左吉) 真打襲名披露パーティー出席<実施済み>
9月21日 定期総会
10月16日 幹事会
10月26日 旧江戸川と浦安まち歩き
11月30日 生田緑地と平和教育登戸研究資料館 まち歩き
12月 浜離宮恩賜庭園と虎ノ門再開発エリアまち歩き
12月18日 幹事会
1月26日 賀詞交換会
2月19日 幹事会
3月24日 卒業記念パーティー
・2019年度予算
・2019年度役員
・会則一部改正
・役員
会 長 庄野真代(継続)副会長 高崎大輔(継続)
会 計 鎌田隆利(継続)
監 事 菅間智義(継続)
中山正邦(継続)
事務局長 高崎広子(継続)
幹 事
梶裕史 (新任)
高田雅之 (新任)
長峰登記夫(新任)
渡邉誠 (新任)
宝田惇史 (新任)
池澤正紀 (新任)
新村繁行 (継続)
小田木弘康(継続)
竹澤順子 (継続)
第二部 付帯イベント
これまで卒業生や学部教員等による講話形式であったが、今回は初の試みで神楽坂でのまち歩きを実施。テーマ 「古地図を片手に神楽坂・横丁を歩く」
参加者 8名ガイド 高崎 大輔
・石神先生にも参加いただき、かつての料亭街跡地に建設されたタワーマンション建設に至った経緯等について話を伺うことができた。
・みちくさ横丁、小栗横丁、見番横丁、本多横丁、かくれんぼ横丁、兵庫横丁を歩き、その名称の由来となるかつての町の機能や暮らし、地主の名前について解説。
・神楽河岸、揚場町、軽子坂という地名は現在も残り、かつての物流機能や商人の暮らしについて現地図と古地図を照合し振り返る。
・高度経済成長期から昭和バブル期において最盛期であった花街の様子を当時のマップを活用し、現在も残る痕跡と比較した。
・石畳、黒塀、小路、料理屋などかつての情緒な雰囲気を残し、また料亭や小料理屋の店構えをそのまま残した居酒屋やBar、その他シェアハウス、外国人向けの民泊施設、タピオカ屋など新しいものを融合させ常に進化する状況を直接足を踏み入れることによって実感できた。
「寺内公園」
かつてこの地は料亭が立ち並ぶ花街であったが、料亭の撤退とマンション建設により公園として残された。
「本多横丁」
現在50軒以上の店舗が立ち並ぶ神楽坂最大の横丁である。江戸中期に本多家があったことが由来している。
以上